イプラは、障がいの有無に関係なく共に働き、持てる力を発揮できる職場環境の実現に取り組んでおり、現在も障がいのある方が現場において活躍しています。
本日のインタビューでは、小田泰平社長と、パラリンアーティストの肩書きをもつ社員 吉野はるかさん、社員デザイナーの藤岡勝利さんに、日頃どのような思いで事業やアート活動に取り組んでいるのかお聞きしました。
(聞き手/デジタルハリウッドSTUDIO松山)
MEMBER INTERVIEW
イプラで働くメンバーインタビュー
――イプラの社員でパラリンアーティストでもある、はるかさんについてご紹介ください
はるかさんは 2000年にイプラに入社しました。だから私よりも彼女の方が入社歴は長いです。もう22年前ですね。商品のことも私よりもよく知っている大先輩です。私が彼女に出会った頃、はるかさんからお手紙をいただき、そこには「頑張ります!」と書かれてありました。当時はまだ絵は描いていませんでしたが、その後、少しずつ挿絵をイラストで描いてくれたんですよね。
――はるかさんは普段はどんなお仕事されているのですか?
今、車検証ケースの梱包とか、商品の検品チェックをしてもらっています。
私たちが気づかないところまで「これ大丈夫ですか?」と気付いてくれて、ここまで見てくれているんだと驚くことがよくあります。本当に大助かりで頼りにしています。
――はるかさんは挿絵をきっかけに、アトリエに通って作品が広がっていった感じですか?
元々は、色鉛筆で描いていたのですが、色が弱い感じがしたので、画材の問題かと思って、色筆ペンやクレヨンを買って時々プレゼントしていたんです。そうしたら、すごくビビットな絵を描くようになって、彼女の作品の奥行きが深くなる感じがしました。それから、アトリエの先生の話を聞いて、障がいを持っていても通って良いということでしたので、通い始めてからですね、彼女自身が変わったのは。毎週週明けに「楽しい楽しい」と言ってくれて、すごく明るくなったし、朝礼の時に「今こんな絵を描いています」とシェアしてくれるんです。先生のところに行って、彼女の表現の選択肢が増えたように感じます。
そうですね、表現の幅が一気に広がって、ほんとに伸び伸びした絵になって、絵を通していろんな方とのコミュニケーションも増えました。絵を展示することで、全然知らなかった方との出会いも生まれました。今後は、企業の方にも見ていただけるように私たちも努力しながら、はるかさんの絵を広く知ってもらいたいと思います。
――絵は何を使って描いているんですか?
アトリエでは油絵の人が多いですが、はるかさんは水彩画を描いていますね。絵のモチーフは先生が選んだ物ですか?それとも、はるかさんが描きたいものを選んでいるのですか?
自分で考える。
では、次はこれを描きたいって先生に言うのですか?
うん、言うよ。
最近は何を描きたいって言いましたか?
お花描きたいって。
それでは、先生がお花を用意してくれるのですか?
いや、紙。折り紙で丸くして貼って。
なるほど。絵を描く時は何が難しい?
黒の塗り方。黒の溶き方。
なるほどねー。絵の具の?
うん。分からなくて。溶き方。
そうですよね、ずっと色鉛筆とペンだったので絵の具となると、水と合わせて溶く丁度いい加減が、アトリエに行って初めてですよね。
初めて。
絵の具を使ったことがなかったものね?伸びやかな塗り方とか、ちょっと水が少ないとパサパサするから、そこが難しいところなのかな?
うん。
これだけ面積が多いと結構大変だなと思います。
――色使いが素敵ですが、絵の具で色を混ぜて作るのは難しいですか?
難しいですよね。好きな色は?
オレンジ!
オレンジ!?明るい気分、分かった!イプラのカラーだからですかね。
――はるかさんが朝礼で作品をシェアし始めて、会社の雰囲気に変化はありましたか?
はるかさんが自己開示しているので、他のメンバーも自己開示しやすくなる空気のきっかけにはなっていると思います。また、彼女がいてくれたので、パラリンアートという活動の存在も知りました。パラリンアートを商品に取り入れることで、作品が世の中に広まっていく。そのことで、喜んでもらえる人がいるということがとてもうれしく思いました。仕事でうれしくなれるということは、ただ給料と待遇だけの「ライスワーク」から、それが「ライフワーク」になって、もしくは、社会に光を当てる「ライトワーク」になっている感覚を持つ人もいると思います。喜んでいてくれる誰かがいる。そのことが、純粋に自分もうれしいという気持ちになって、その感情が自分の仕事に対するモチベーションであったり、プライドであったり、うれしさとなって感じてもらえるものだと思っています。
パラリンアートにはいろんなアーティストさんがいることも知っているので、パラリンアート作品をもっと広く使ってもらいたいし、パラリンアートとの関わりやイプラの活動ももっと知ってもらいたいと強く思っています。アートには限りませんが、このような活動はやるべき活動だと思いますし、私たちの仕事自体もちょっと工夫すると、活動に関連する仕事は作っていけます。活動を通じたいろいろな方とのコミュニケ―ションはすごく楽しいので、広く共有して盛り上げ、外部へも発信していきたいです。
――これからの支援について、未来への目標はありますか?
支援に関して言うと、頼られたり、ありがとうと言われると、誰でも自分のマインドやモチベーションは上がると思いますが、パラリンアートへの取り組みでは、どちらかと言うと、私たちが支援されているような感覚を覚えるのです。私はその感覚を広めたくて、パラリンアートの魅力を広く伝えたいと思っています。
また、例えば、近視等で眼鏡やコンタクトレンズ着用者を「視力障がい者」とは呼びませんが、これは眼鏡やコンタクトレンズといった視力を補う技術が革新的に進化したためであって、その進化によって「障がい」という言葉の定義が変わり、近視等は「障がい」ではなくなりました。技術の進化だけでなく、世の中の取り組みや仕組みが社会的変革と言えるほど大きく変われば、同じように「障がい」の定義は変わります。このような「障がい」の定義を変える進化や変革のきっかけに、私たちの取り組みがなっていければいいなと思っています。そして、そのような会社がどんどん増えて、当たり前になっていけば、進化や変革につながっていくでしょう。
自社だけではなくて、同じビジネスに協力してくださる方々が、フラットな状態で、いろんな人たちが集まって、自分の持てる力を最大限発揮して社会に結果を出していくようなムーブメントや組織を作りたいと思っています。ビジネスなので、お金という対価がきちんと発生する仕組みも必要でしょう。新たな価値を生み出せるメンバーを社内外でどんどん広げていきたいと思っています。
―――ありがとうございました。
(2022年12月に撮影)